野村克也 野球の名選手

野村克也

野村克也は京都、峰山高校から南海にテスト生として入団、現役は1954年から1980年まで南海、ロッテ、西武でプレーしました。キャッチャーでしたが当時、弱肩のため目立たない存在でした。守備が安定し打撃力も相手のクセ見抜く眼力を養ったことで徐々に上昇。1965年には戦後初の三冠王に輝くまでになります。

しかし当時人気のなかったパ・リーグでの活躍は全く脚光を浴びず、大活躍だったセ・リーグの王、長嶋をひまわり、こちらはひっそりと咲く月見草と例えたくらいでした。ちなみに生涯に打ったホームラン数は657本で、王に抜かれるまでは首位であるほどの名選手です。

守備面でもそれまでの常識を覆します。今ランナーが出てからの投手のクイック投法、ささやき(ぼやき)戦術を駆使、当たり前のように行う先発、中継ぎ、抑えの投手起用法はこの野村克也が全面的に行いだしたことです。それは選手兼監督(プレーイングマネージャー)という立場であったからできたことだったかもしれません。

監督専業としてもデータを元にしたID野球を駆使し、古田選手、飯田選手、高津投手などなどの選手を育て上げ、また歴任したヤクルト、阪神、楽天の監督としても優勝させたり、万年BクラスをAクラス入りさせたりと活躍しました。現在は野球解説者として、あるいは各種講演会にもひっぱりだこです。