福本豊 野球の名選手
福本豊は大阪府大阪市生野区出身、1947年11月7日生まれの元プロ野球選手です。現在は解説者としてテレビや雑誌に出演しています。大鉄高校から社会人野球の松下電器(現在はパナソニック)に進み、1968年の都市対抗では富士製鐵広畑(現在は新日鐵住金広畑)の補強選手として出場し、チームを優勝に導きます。同年のドラフトで阪急ブレーブスから7位指名を受け入団します。
小柄な体格であったために前評判は高くなかった福本ですが、2年目にレギュラーに定着すると、1972年には当時の世界記録となるシーズン106盗塁を記録、チームのリーグ優勝の立役者となりMVPと盗塁王を獲得します。ここから福本は13年連続で盗塁王に輝き、実働20年で1065盗塁をマークします。これはリッキー・ヘンダーソンに破られるまで世界記録ででした。小柄ながらも通算208本塁打を放ち、バットの方でも存在感を示しました。
新聞の報道でドラフト指名されたことを知ったり、国民栄誉賞を「立ち小便もできなくなる」との理由で辞退したり、ユニークなエピソードにも事欠きません。現在は「居酒屋解説」などと言われていますが、プロ野球史上に残る名選手であったという事実は揺らぎません。