野茂英雄 野球の名選手

野茂英雄

野茂英雄は日米の野球界で大活躍した投手です。1989年のドラフト会議で、史上最多の8球団から指名を受け近鉄に入団。ルーキーイヤーでいきなり最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率・ベストナイン・新人王・沢村賞そしてMVPにも輝きました。しかし1994年の契約更改時に上層部とトラブルがあり、任意引退という形で近鉄を退団。翌年米のドジャースとマイナー契約を結び、メジャーデビューも果たしました。

日本プロ野球デビュー時同様、メジャー1年目から活躍。オールスターゲームにも選出され、ドジャースの地区優勝にも貢献。新人賞も受賞するほどの活躍を見せました。翌1996年にはノーヒット・ノーランも達成。変則的なトルネード投法から奪三振を取るスタイルはドクターKと呼ばれ、また打者としても日本人初ホームランを記録しています。2000年には在籍したレッドソックスで2度目のノーヒット・ノーランを達成。数々の三振記録を残しました。その後古巣のドジャースの戻り活躍しましたが、シーズンオフに肩の手術を行いました。勝利もありましたが、思わしい成績とならず、2008年現役を引退しました。

野茂英雄投手が残したものは、日米での成績だけではありません。今やメジャーに挑戦するとか、移籍するのは珍しいことではありませんが、この頃(1995年)は、そんな空気は全く皆無だったのです。その後、イチロー、松井、伊良部、黒田といった選手がメジャーに行き、活躍できたのはこの野茂投手のおかげなのです。日本人選手がメジャー挑戦という道を開いたのです。投法同様、常識を打ち破った名選手が野茂英雄です。