川相昌弘 野球の名選手

プロ野球の名選手というと、大きな記録を残した選手や記録はもちろんの事ですが、記憶に残る多くのプレーをした選手が言われる事が多いのが現実です。投手であれば、先発投手やリリーフ投手は注目をされますが、中継ぎ投手はあまり注目をされていないという事や、打者であれば、守備よりも打撃重視で、打撃も細かいチャンスをつくる選手ではなく、チャンスで打てる選手が評価されやすい傾向があります。

そんな中で打撃はバントの記録保持者で、選手としては守備とバントの名手として派手さはないものの、多くの野球ファンに名選手として人気のある川相昌弘選手がいます。名選手といっても、新人からしばらくの間は、巨人という強いチームに所属していたこともあるのですが、2軍か1軍でも試合には出場できないベンチ要員というイメージでした。特に当時の巨人の選手は基本的に他のチームでも中心選手になれるような選手が下位打線にいるようなチームでもありましたから、これといって特徴のない川相昌弘選手には出番がある試合は皆無となっていました。

当時の2軍監督の指導と本人の努力により、攻撃では小技であるバントやランナーを進塁させるようなチャンスを広げられる打者として、守備ではチームで最も安定した内野手として、ようやく2番でショートのポジション手に入れる事ができました。その後も、個の強い巨人の打線の中で、自分を犠牲にしてでもチャンスを広げられる川相昌弘選手は、チーム内では絶大な信頼を得て、対戦相手からは嫌がられる選手になりました。

その後中日に移籍をしたものの、バントの記録はギネスに認定される偉大な記録として今も残っています。

川相昌弘